倉谷友干詞書正述心緒 本文うき事は物わすれして析節の 署名友干 読み下だし英訳メタ情報略伝* 倉谷友干( ~文久3年) 医家(歌人)名の友干を東母雪とも書いている。号は松園、はじめは倉谷多門と称し後主水と称した。京都の人、室町丸太町南において医を業とし、侯ら歌を加茂季糖に画を勝山図害に学んで風雅の道に遊んだ。文久三年三月十二日没、享年未詳、元治元年に門人西池成麗が友干の歌を集めて蒼山和歌集(小本二冊)を刊行している。(文政五 文雅 文政十三 和歌 天保九 和歌 嘉永五 和歌)
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