平安人物志(文政5年版) ( 文政五年壬孟秋成刻 ) Page 00295 に見られる記述 分類: 文雅 藤原友干 - : - : - ( 室町丸太町南) - (俗称) 倉谷多門 平安人物志(文政13年版) ( 文政十三年寅初冬再刻 ) Page 00371 に見られる記述 分類: 筆法家上代様書家 藤原光定 - 号 : 穆々堂 - 字 : - ( 新門前縄手東) - (俗称) 中村多門 平安人物誌(天保9年版) ( 天保九年戍五月改刻 ) Page 00523 に見られる記述 分類: 書 藤原光定 - 号 : 穆々堂 - 字 : 翁孫 - ( 新門前縄手東) - (俗称) 中村多門 平安人物誌(嘉永5年版) ( 嘉永五年壬子正月改刻 ) Page 00673 に見られる記述 分類: 書 藤原光完 - 号 : 穆々堂 - 字 : 翁孫 - ( 新門前縄手東) - (俗称) 中村多門 「「平安人物志」掲載諸家関連短冊」における解説 名前: 倉谷友干 解説: * 倉谷友干( 〜文久3年) 医家(歌人)名の友干を東母雪とも書いている。号は松園、はじめは倉谷多門と称し後主水と称した。京都の人、室町丸太町南において医を業とし、侯ら歌を加茂季糖に画を勝山図害に学んで風雅の道に遊んだ。文久三年三月十二日没、享年未詳、元治元年に門人西池成麗が友干の歌を集めて蒼山和歌集(小本二冊)を刊行している。(文政五 文雅 文政十三 和歌 天保九 和歌 嘉永五 和歌) |
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