長沢伴雄


詞書

述懐百首の中 二

本文

おもふこといはぬはいふにますらをの
ねにこそたてねなかぬ日はなし

署名

伴雄

読み下だし


英訳



メタ情報

略伝

* 長沢伴雄(文化5年~安政6年) 国学者(歌人)幼名十蔵後貫一郎・初め靱の舎と号し後改めて絡石舎又は絡石軒と云い、更に柿園又は葛之軒とも号した。通称長沢衛門。紀州の人、文化五年藩士吉岡義知の二男として生れたが天保二年二十四歳の時長沢六郎政寛の養子となり紀州公徳川治宝に仕えその寵遇を蒙り公の命により天保十一年三十三歳の時京に上り六角御幸町西に住し本居大平の門に入り国学を学び、高倉家に入門して有職を学んだ。蓋しこのことは有職に関心を深めた治宝公の命によるものである。尓来京摂の間を来往し国事に奔走したが嘉永六年四十六歳の時藩政改革のことに座して諸役御免となり、安政二年揚座敷入を命ぜられ同六年揚屋中にて病没した。時に年五十二。挫夷本論。詠史歌集。絡石の落葉(伴雄歌文集)等の著がある。(嘉永五 和歌 再出 和学)
寸法: 縦36.5cm 横5.7cm
紙質: 和紙
製法: 厚短冊(裏打あり)
模様: 上下茶色
書風:
用字:
書式: 初、三、五句における墨継ぎ:あり,上下句の頭に漢字を揃えない:あり,二行の頭を同じ高さに揃える:あり,女性は表に署名せず、裏の右下隅に署名する:あり
風: