鈴鹿連胤詞書寄鏡祝 本文朝熊のいはほのうへのかゝみには 署名連胤 読み下だし英訳メタ情報略伝* 鈴鹿連胤(寛政7年~明治3年) 国学者。姓は中臣、幼名幸松。誠斎と号し尚褧舎と云い、鈴鹿神祗権少副と称した。京都の人、寛政七年洛東吉田神社の祠官の家に生れた。長じて家職を嗣ぎ且つ吉田家の家老をつとめた。山田以文に国学を学び香川景樹に和歌を学んだが、殊に蔵書家として知られ頼山陽も「日本外史」編纂に当リ参考資料を借覧したという。戸田大和守と共に皇陵調査に従事し、その復旧を図リ尽くすところが多かった。神社覈録七十五巻の著述を残している。明治三年十一月二十日没年七十六。(嘉永五 和歌)
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