平安人物誌(嘉永5年版) ( 嘉永五年壬子正月改刻 ) Page 00685 に見られる記述

分類: 和歌
中臣連胤 - 号 : - : - ( 吉田) - (俗称) 鈴鹿神祇権少副


平安人物志(慶応3年版) ( 慶應三年丁夘初夏改刻 ) Page 00842 に見られる記述

分類: 和歌
中臣連胤 - 号 : - : - ( 吉田) - (俗称) 鈴鹿神祇権少副

平安人物志(慶応3年版) ( 慶應三年丁夘初夏改刻 ) Page 00848 に見られる記述

分類: 和学
中臣連胤 - 号 : - : 再出 - ( 吉田) - (俗称) 鈴鹿神祇権少副


「「平安人物志」掲載諸家関連短冊」における解説

名前: 鈴鹿連胤
解説: * 鈴鹿連胤(寛政7年〜明治3年) 国学者。姓は中臣、幼名幸松。誠斎と号し尚&cx8927;舎と云い、鈴鹿神祗権少副と称した。京都の人、寛政七年洛東吉田神社の祠官の家に生れた。長じて家職を嗣ぎ且つ吉田家の家老をつとめた。山田以文に国学を学び香川景樹に和歌を学んだが、殊に蔵書家として知られ頼山陽も「日本外史」編纂に当リ参考資料を借覧したという。戸田大和守と共に皇陵調査に従事し、その復旧を図リ尽くすところが多かった。神社覈録七十五巻の著述を残している。明治三年十一月二十日没年七十六。(嘉永五 和歌)

戻る