平安人物志(天明2年版) ( 天明二年壬寅七月 ) Page 00097 に見られる記述 分類: 学者 畑惟亮 - 号 : 晞陽 黄山之男 - 字 : 明卿 - - (俗称) 同(畑)柳敬 平安人物志(文政5年版) ( 文政五年壬孟秋成刻 ) Page 00277 に見られる記述 分類: 医家 畑維亮 - 号 : 寉洲 - 字 : - ( 烏丸四条南) - (俗称) 畑柳敬 「「平安人物志」掲載諸家関連短冊」における解説 名前: 畑惟亮 解説: * 畑惟亮( 〜文化10年) 医家。宇は明卿一字柳敬、晞陽又は橘山又は&cx5bc9;洲、及び恒山と号した。京都の人、明暦六年南山武川氏の第二子として生れ後医学院一世畑黄山の養子となり畑氏を継ぎ安政五年廿一歳を以て法橋に叙せられ次いで同六年法眼に進叙、享和元年始て宮中に入って御脉を診、文化十一年尚薬奉御となリ文政元年転じて南宮奉御となり同二年に法印に昇叙せられた。その間出雲侯、加賀侯の請を受けて治瘉に当り名声を博した。先師黄山先生の翻刻にかかる温公通鑑を業半ばにして引つぎこれを大成した。このほか麻疹聚要等の著書がある。文化十年五月一日没、年七十三。中堂寺に葬る。碑銘は医学院法印恒山宗順居士。(天明ニ 学者(医) 文化十 医家 文政五 医家) |
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