平安人物志(文化10年版) ( 文化十年癸酉十月再板 ) Page 00178 に見られる記述

分類: 医家
鎌田昌長 - 号 : 履端斎 - : - ( 両替町姉小路北) - (俗称) 鎌田碩庵


平安人物志(文政5年版) ( 文政五年壬孟秋成刻 ) Page 00275 に見られる記述

分類: 医家
鎌田昌長 - 号 : 履端斎 - : - ( 両替町姉小路北) - (俗称) 鎌田碩庵


平安人物志(文政13年版) ( 文政十三年寅初冬再刻 ) Page 00417 に見られる記述

分類: 医家
鎌田昌長 - 号 : 履端斎 - : - ( 烏丸押小路南) - (俗称) 鎌田碩庵

平安人物志(文政13年版) ( 文政十三年寅初冬再刻 ) Page 00441 に見られる記述

分類: 文雅
鎌田昌長 - 号 : 履端斎 - : 再出 - ( 烏丸押小路南) - (俗称) 鎌田碩庵


「「平安人物志」掲載諸家関連短冊」における解説

名前: 鎌田碩庵(復斎)
解説: * 鎌田碩庵() 医家。名は昌長。字は孟揚。履端斎。又は復斎、碩庵と号した。京都の人、両替町姉小路北に於て医を業とした。小沢芦庵の門に入り歌を学んだが以文社尚歯会詩歌集文政十三年の条には鎌田碩庵六十三歳とあるからその活躍の年時が窺われる。墓は黒谷善教院にあり、法名を潜龍院大雲碩庵居士と云う。(文化十 医家 文政五 医家 文政十三 医家 再出 文雅)

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