平安人物志(文政5年版) ( 文政五年壬孟秋成刻 ) Page 00249 に見られる記述

分類: 和学
六人部是香 - 号 : 葵溪 又号&cx81031837;舎 - : - ( 西岡向日社) - (俗称) 六人部縫殿


平安人物志(文政13年版) ( 文政十三年寅初冬再刻 ) Page 00382 に見られる記述

分類: 和学
六人部是香 - 号 : 葵溪 又号&cx81031837;舎 - : - ( 西岡向日社) - (俗称) 六人部縫殿


平安人物誌(天保9年版) ( 天保九年戍五月改刻 ) Page 00537 に見られる記述

分類: 和学
六人部是香 - 号 : 葵溪 - : - ( 西岡向日社) - (俗称) 六人部縫殿


平安人物誌(嘉永5年版) ( 嘉永五年壬子正月改刻 ) Page 00689 に見られる記述

分類: 和学
六人部是香 - 号 : 葵溪 - : - ( 三本木偶居) - (俗称) 六人部美濃守


「「平安人物志」掲載諸家関連短冊」における解説

名前: 六人部是香
解説: * 六人部是香( 〜文久3年) 国学者。初名惟篤、葵溪又は篶舎、葵舎、一翁の号がある。六人部縫殿後に美濃守と称した。京都の人、向日神社々司、六人部節香の甥、江戸に出て平田篤胤の門に入り同門下の関西の棟梁と目された。晩年職を長男是香に譲り京都三本木に神習舎を興し学徒の育成に努めた、その門下に真木保臣、物集高見等がある。歌学にも造詣深く著書も多い。文久三年十一月二十六日没、年六十六。(文政五 和学 文政十三 和学 天保九 和学 嘉永五 和学)

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