平安人物誌(天保9年版) ( 天保九年戍五月改刻 ) Page 00561 に見られる記述

分類: 文人画
橘震佳 - 号 : 都花園 - : - ( 一条新町西) - (俗称) 下村真五郎


平安人物誌(嘉永5年版) ( 嘉永五年壬子正月改刻 ) Page 00698 に見られる記述

分類: 画
橘謙愿 - 号 : 都花園 - 字 : 一幸 - ( 御幸町二条北) - (俗称) 下村大和大掾

平安人物誌(嘉永5年版) ( 嘉永五年壬子正月改刻 ) Page 00749 に見られる記述

分類: 文雅
同(橘)謙愿 - : - : 再出 - - (俗称)


平安人物志(慶応3年版) ( 慶應三年丁夘初夏改刻 ) Page 00854 に見られる記述

分類: 画
橘一幸 - 号 : 東塙園 - 字 : - ( 東木屋町二条南) - (俗称) 下村主殿少允

平安人物志(慶応3年版) ( 慶應三年丁夘初夏改刻 ) Page 00891 に見られる記述

分類: 文雅
橘一幸 - 号 : 東塙園 - : 再出(字) - ( 東木屋町二条南) - (俗称) 下村主殿少允


「「平安人物志」掲載諸家関連短冊」における解説

名前: 下村謙愿(一幸)
解説: * 下村謙愿(文化13年〜明治4年) 文雅家(画家)。姓は橘。宇は良進後に一幸と改めた。都花園と号し別に震住とも号した。通称下村真五郎。京都の人。文化十三年生れ、二十八歳主殿寮史生となり従六位上に叙せられ大和大掾に任ぜられた。官務の余暇円山應震の門に入り画を学び且つ和歌をよくした。一幸の家は現在の大丸百貨店の一族で「中の大丸家」と称した。明治四年二月没。年五十四。(天保九 文人画 嘉永五 画家 再出 文雅 慶応三 画 再出 文雅)

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