平安人物誌(嘉永5年版) ( 嘉永五年壬子正月改刻 ) Page 00673 に見られる記述

分類: 書
伴纜 - 号 : 寧楽舎 - : - ( 柳馬場竹屋町北) - (俗称) 畑主殿大允

平安人物誌(嘉永5年版) ( 嘉永五年壬子正月改刻 ) Page 00742 に見られる記述

分類: 易学
畑纜 - 号 : 寧楽舎 - : 再出 - ( 柳馬場竹屋町北) - (俗称) 畑主殿大允


平安人物志(慶応3年版) ( 慶應三年丁夘初夏改刻 ) Page 00835 に見られる記述

分類: 書筆法家上代様
伴纜 - 号 : 梅洲 又三猿舎 - : - ( 聖護院西鳥居前北) - (俗称) 畑播磨守

平安人物志(慶応3年版) ( 慶應三年丁夘初夏改刻 ) Page 00889 に見られる記述

分類: 易学
畑纜 - 号 : 梅洲 又三猿舎 - : 再出 - ( 聖護院西鳥居前北) - (俗称) 畑播磨守


「「平安人物志」掲載諸家関連短冊」における解説

名前: 畑纜
解説: * 畑纜( 〜明治4年) 書家。姓は伴。寧楽舎と号しまた梅洲或は三猿舎と号した。初め柳馬場竹屋町北に住し後聖護院西鳥居北に移り書並びに易学占考方位相宅を以て業とした。書は岡本胡保の門に学び書博士の伝統を継ぎ主殿大允藩摩守に任じた。明治四年八月二日没。年七十二。(嘉永五 書(和) 再出 易 慶應三 書(和) 再出 易)

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