浮田一&cx81056320; : うきたいっけい : UKITA IKKEI


  • 姓 : 豊臣
  • 通 : 内蔵允
  • 初 : 公信
  • 名 : 一&cx81056320;

平安人物志(文政13年版) ( 文政十三年寅初冬再刻 ) Page 00396 に見られる記述

分類: 画
藤原可為 - 号 : 一&cx81056320; 又為牛 為仏子 - : - ( 三本木) - (俗称) 浮田一&cx81056320;


平安人物誌(天保9年版) ( 天保九年戍五月改刻 ) Page 00550 に見られる記述

分類: 画
豊臣可為 - 号 : 一&cx81056320; - 字 : 士師 - ( 木屋町二条南) - (俗称) 浮田蔵之介


平安人物誌(嘉永5年版) ( 嘉永五年壬子正月改刻 ) Page 00700 に見られる記述

分類: 画
豊臣可為 - 号 : 一&cx81056320; - 字 : 士師 - ( 木屋町三条北) - (俗称) 浮田蔵之介


「「平安人物志」掲載諸家関連短冊」における解説

名前: 浮田一&cx81056320;(可為)
解説: * 浮田一&cx81056320;( 〜安政6年) 画家。姓は豊臣。初名公信後に可為と改め一&cx81056320;と号した、通称浮田内蔵介、京都の人、長して学に志し、平生孝経を読んで暗誦し一字も謬らなかった。或時孝経図を作って朝廷に献じたこともある。画についても徒に美花錦鳥を描くは我徒に非らずとして常に慷慨の気を示した。嘉永六年米艦浦賀来航の際長州藩に請うて嗣子可成をその隊伍に加え国防の急を説いたが、安政五年幕府の忌諱にふれて捕へられ投獄され後釈放されたが病を得て安政六年十一月十四日没した。年六十五、明治二十四年従四位を贈られている。(天保九 画 嘉永五 画)

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