竹内重方詞書雁初来 本文やまのはの霧の上くる初かりの 署名重方 読み下だし英訳メタ情報略伝* 竹内重方( ~天保9年) 画家、姓は源。名は重方又は直、又は義方と云い、字は観象、有節と号した。通称竹内由右衛門。京都の人、其先■則彦は葛野郡の郡長となり代々九条に住した後十八世を歴て重方の父元吉の代に後桃園院大乳人慎子の家士兼ねて典侍故宰相局の家政を司り頗る功労が有った。安永四年重方は徴せられて禁裏使番となり百万遍竹門屋舖に移り文化九年五月奏者に転じた。更に仕官の傍ら吉田元陳の門に入り画を学び遂に一家を成すに至った。後その名声は天朝に達し展々画図を奉り恩賞にあづかったという。天保九年四月廿日没、年八十一。九条幅田寺に葬る。(文化十 画家 文政五 画家 文政十三 画家)
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