[ 日文研トップ ] [ 日文研データベースの案内 ] [ データベースメニュー ]


[ 画帖一覧 | 行事名 | 場所名 | 開催時期 | 跋文 ]

  跋

わが平安京は延暦(えんりゃく)以降一千年の宮闕おはしし四神相応の地にして、山紫水明雪月花一として可ならざるなく、社寺相集り旧跡相接し、古来学術の淵藪、宗教の霊跡、藝苑の中心たり。各種の文化風俗此処より出でて全国に流布し、一千載の範を垂るるもの尠しとせず。されば社寺民間の歳事多くして応接に遑なく、その粋爰に攅り、その由緒の古き亦内国に冠絶す。今平安青年画家中島荘陽(なかじまそうよう)氏、数年の心血を濺いでこを写すこと五十、歳端に始りて年暮に終る。筆を弄する微にして密健にして麗妙趣尽きず。その大丸(だいまる)に展観するや、偶々永楽屋(えいらくや)主人細辻伊兵衛(ほそつじいへえ)氏之を購はれ坐右の珍とせむとし、装少成りて予にその解説執筆をもとめらる。予夙に細辻氏と知遇を蒙り詎辞すべからず。乃ち禿筆を駛する。三月上巳の佳節に功を竣へ同家に渡す。氏風流書画骨董に甚深の趣味を有せられ、店務にいそしみ給ふ傍、之を鑑賞してその労を医せらる。わが禿筆拙文誠に見るに堪へずと雖も、若し時勢の潮流により変転しゆく現行の年中行事が泯滅せし将来、この帖を披閲せられむにはその画と相俟つて感興新たなるものあらずとせむや。

  昭和三年(しょうわさんねん) 上巳佳節

  風俗研究所長 江馬務(えまつとむ) 識印